境内の風景

続いて境内の風景を紹介する。

鳥居

鳥居

まずは石鳥居。鳥居の形は明神(みょうじん)鳥居。平成3年(1991)11月に氏子中によって建て替えられた。神額には「正一位 稲荷大明神」と彫られている。

社号標

社号標

鳥居に向かって右手にある石柱は社号標。正面に「魚沼東稲荷神社」と刻まれている。平成3年(1991)11月に石鳥居といっしょに建立された。
 
裏面には「鳥居幟旗 新調資金奉納者」とあり、奉納者14人の名前と世話人二人の名前が刻まれている。

力石

鳥居の両脇に力石(※4)が置かれている。

※4 力石(ちからいし)とは、力試しや力競べをするために使われた石。昔の農村の青年は米俵を担ぐなど力仕事をすることが多く、力試しをよくした。神社の境内などにある大きな石を持ち上げて力を競った。(出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「力石」日本大百科全書 (2023年11月29日閲覧).

力石|天保6年

力石|天保6年

鳥居に向かって左側の力石は、江戸後期・天保6年(1835)奉納。「奉納六十貫」「天保六未年」「□□吉日」「當村 仙蔵持之」の文字が読みとれる。

力石|天明9年

力石|天明9年

鳥居に向かって右側の力石は、江戸後期・天明9年(1789)奉納。「天明九年」「奉納四十二メ」(「メ」は「貫」と同義)「田口」の文字が確認できる。

富士塚

富士塚

鳥居をくぐった右手には樹木に覆われた富士塚(ふじづか)がある。盛り土された小山に石段が6段。頂上には「浅間大神」文字塔が建てられている。
 
富士塚とは、「富士山に登山できない者の登拝(とはい)のために富士山を模して築いた人造の小山で、頂上に小祠を祀り、[中略]富士山から講員(富士山を信仰する富士講の信者)が運んだ溶岩を斜面に配している塚も多い」(※5)

※5 庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)「富士講碑」151頁

「浅間大神」文字塔

「浅間大神」文字塔

富士塚の頂上に建てられいる自然石の石塔は、明治11年(1878)6月建立の「浅間大神」文字塔。「浅間大神」(せんげんおおかみ)は、富士山を神格化して付けた尊称。富士塚の頂上に建てられていることが多い。
 
文字塔の表面下部には、「藤塚村」(現・春日部市)「魚沼邨」(邨は村の別字)「社中」のほか、「願主」と「世話人」の名前が刻まれている。文字塔の裏面には「明治十一年六月吉日」とある。

社殿

社殿|魚沼東稲荷神社

社殿は、鳥居をくぐった正面、やや小高くなった場所に鎮座している。祀られているのは「稲荷大明神」。社殿の創建は不詳。社(やしろ)は小さいが、銅板屋根は葺き替えられているほか、社殿の下にはブロックが3段積み重ねられて、補強されている。

場所

魚沼東稲荷神社|埼玉県松伏町魚沼

魚沼東稲荷神社がある場所は、野田岩槻線(千葉県道・埼玉県道80号)と松伏春日部関宿線(埼玉県道・千葉県道42号)が交わるT字路「金杉」交差点から北東60メートル(埼玉県北葛飾郡松伏町魚沼)。金野井用水路の東側にある( 地図

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
外山晴彦・『サライ』編集部編『歴史が分かる、腑に落ちる神社の見方』小学館(2007年7月15日 初版第6刷発行)