埼玉県松伏町の魚沼東稲荷神社にある猿田彦大神を主尊とした庚申塔や石仏を調べた。調査した五基の石塔をはじめ力石・富士塚などを写真とともにお伝えする。

魚沼東稲荷神社

魚沼東稲荷神社|埼玉県松伏町

調査したのは 2023年10月12日。まずは魚沼東稲荷神社について簡単に触れておく。
 
創建は不詳。江戸時代、現在の松伏町は、武蔵野国松伏領と、下総国庄内領に属していた(※1)。魚沼東稲荷神社のある場所は魚沼村で、下総国庄内領だった。境内の石仏にも「下總國葛飾郡庄内領」「庄内領魚沼村」の銘が確認できる。

※1 松伏・田島・大川戸・上赤岩・下赤岩の五か村は武蔵国松伏領に属し、金杉村・築比地村・魚沼村の三か村は下総国庄内領に属していた。(出典)松伏町公式サイト「 松伏町の歴史 」(2023年11月29日閲覧)

それでは魚沼東稲荷神社の石仏と石塔を見ていく。

石仏

石仏は、鳥居の両脇、二箇所にまとめられている。

三基の石仏

三基の石仏|魚沼東稲荷神社(埼玉県松伏町)

まずは鳥居に向かって左側。トタン屋根の鞘堂の下に、三基の石仏が並んでいる。

文字庚申塔

文字庚申塔|魚沼東稲荷神社

向かって左端は文字庚申塔。江戸後期・文化11年(1814)造立。石塔型式は山状角柱型。正面の最頂部は瑞雲に乗った日月。中央の主銘は「青面金剛」。台石の正面には三猿が陽刻されている。
 
左側面の脇銘は「文化十一甲戌年」。右側面には「□月吉祥日」とある。「□」の文字は摩耗により読みとれなかった。

猿田彦像庚申塔

猿田彦像庚申塔|魚沼東稲荷神社

中央は猿田彦像庚申塔。江戸末期・文久4年(1864)造立。石塔型式は角柱型。掘りくぼめられた石塔の正面に、横を向いた猿田彦大神が浮き彫りされている。
 
自然石を使った台石には三猿が陽刻されている。

猿田彦大神

猿田彦大神

庚申塔の主尊といえば青面金剛が一般的だが、江戸中期以降、神道系の庚申講では、猿田彦大神を主尊とした庚申塔が建てられるようになった。
 
この猿田彦像庚申塔について、松伏町公式サイトでは、「神道系の庚申講で本尊となる猿田彦大神を、髭を生やした老人として刻んだ珍しい庚申塔」(※2)と、紹介されている。

※2 出典:まつぶしウォーキングマップ「 歴史と緑のコース 」(2023年11月29日閲覧)

脇銘

魚沼村の銘|脇銘

左側面の脇銘は「文久四甲子霜月庚申」。右側面には「東魚沼村」と刻まれている。

青面金剛像庚申塔

青面金剛像庚申塔|魚沼東稲荷神社

向かって右端は青面金剛像庚申塔。江戸中期・享保15年(1730)造立。石塔型式は駒型。最頂部に青面金剛を表わす梵字「ウーン」。両脇には瑞雲に乗った日月、中央に青面金剛、その下に邪鬼と二鶏、最下部に三猿が陽刻されている。
 
青面金剛像は剣人型(※3)

※3 青面金剛像は大別すると、「合掌型」(がっしょうがた)と「剣人型」(けんじんがた)がある。中央の両手で合掌しているのが合掌型。左手で、ショケラと呼ばれる人身(じんしん)の髪をつかみ、右手で剣を持っているのが剣人型。

この青面金剛は、左上手に法輪、中手にショケラ、下手に弓。右上手に三叉鉾、中手に宝剣、下手に矢を持っている。宝剣の部分は欠けてしまっている。

脇銘

右側面の銘は「奉建立庚申供養」。左側面にには「享保十五庚戌天霜月大吉日」「下總國葛飾郡庄内領」と刻まれている。
 
台石には「世話人」「講中」の文字のほか、寄進者と思われる人名が多数刻まれているが、劣化が進んでいて、読み取ることができなかった。

二基の石仏

二基の石仏|魚沼東稲荷神社(埼玉県松伏町)

鳥居に向かって右側。トタン屋根の鞘堂の下には、二基の石仏が並んでいる。

成田山不動明王石造道標

成田山不動明王石造道標|魚沼東稲荷神社(埼玉県松伏町)

向かって左側の石塔は成田山不動明王石造道標。江戸末期・文久元年(1861)造塔。石塔型式は駒型。左側面の銘は「文久元辛酉年」
 
台石には「魚沼村」「世話人」の文字のほか、多くの人名が刻まれているが、劣化がひどく、読みとれない。

不動明王と二童子

不動明王と二童子

石塔の上部には不動明王座像、その下には二童子が陽刻されている。二童子は、向かって左が矜羯羅童子(こんがらどうじ)、右が制多伽童子(せいたかどうじ)

成田山と道標

「成田山」銘の道標

石塔下部の中央には、大きく「成田山」と彫られている。
 
向かって右下には「左 加なすぎ 奈り多 道」(左 金杉 成田 道)、左下には「右 古し可”や 江戸 道」(右 越谷 江戸 道)の文字が刻まれていて、道しるべになっている。
 
江戸時代中期以降、成田山へ詣でる信仰が流行し、成田山に向かう沿道沿いに、成田山信仰の人々によって、道しるべが建てられた。成田山に向かう道は「成田道」(なりたみち)とも呼ばれた。

道しるべ|右側面

道しるべ|右側面

右側面の下部には「此方、本う志ゆ花 せき宿 道」(此の方 宝珠花 関宿 道)と刻まれている。宝珠花(ほうしゅばな)は、江戸川をはさんで千葉県野田市と埼玉県春日部市にまたがる地域で、現在の春日部市西宝珠花あたり。関宿(せきやど)は現在の千葉県野田市関宿。

道しるべ|左側面

道しるべ|左側面

左側面の下部には「此方 かす可べ すぎ戸 道」(此の方 春日部 杉戸 道)とある。春日部(かすかべ)は現在の春日部市。杉戸(すぎと)は、現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町。

文字庚申塔

文字庚申塔|魚沼東稲荷神社(埼玉県松伏町)

向かって右側の石塔は文字庚申塔。江戸中期・安永3年(1774)造塔。石塔型式は山状角柱型。正面の最頂部に、青面金剛を表わす梵字「ウーン」。中央の主銘は「青面金剛」
 
台石には、庚申塔の寄進者と思われる12人の名が刻まれているが、劣化がひどく、読みとれない。

脇銘|左側面

脇銘|左側面

左側面の脇銘は「安永三甲午十一月吉日」「総列庄内領魚沼村」

脇銘|右側面

脇銘|右側面

右側面には「開眼供養導師」「常金寺住秀善」とある。「常金寺」は松伏町魚沼にあるお寺で、魚沼東稲荷神社から松伏春日部関宿線(埼玉県道・千葉県道42号)を北北西に1400メートルほど行ったところにある。

境内の風景

魚沼東稲荷神社の境内|埼玉県松伏町