埼玉県松伏町松伏の民部河岸跡にある水神宮の石造物を調べた。水神塔・歌碑・記念碑・石灯籠……。場所は古利根川に架かる寿橋のたもとにある。

民部河岸跡

民部河岸跡|古利根川

まずは、民部河岸(みんぶがし)について簡単にふれておく。
 
水神宮の裏手、古利根川の河原は、江戸時代、民部河岸と呼ばれる船着場だった。この船着場は、松伏の世襲名主・石川民部(※1)が管理していたので、民部河岸とよ呼ばれた。往時は、米や桃、梅などを運搬して繁栄した。

※1 石川民部(いしかわみんぶ)…出自は不詳ながら戦国時代に帰農し土着した武士と伝えられている。石川家の当主は民部の名を世襲し、江戸時代初期に松伏領の開墾や菩提寺の静栖寺(じょうせいじ)を本寺として23の寺院を整備。松伏の発展に大きく寄与した。

水神宮

水神宮|民部河岸跡

この水神宮は、民部河岸の安全と繁栄を願って建立された。
 
『松伏町史』によると、「水神への祈願は、河岸関係者が水難に遭わないようにとの『水上安全』の願いであった。しかし、水運の衰退によって祈願内容は、河岸関係者の水難からの守護から、地域の子どもたちの『水難除け』にかわり、現在は『水の神様』として信仰されている」(※2)という。

※2 『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)「民部河岸の安全を願う水神」42頁

それでは、水神宮にある石造物を見ていく。調査日は 2024年12月30日。

  1. 石鳥居
  2. 幟枠石
  3. 石灯籠
  4. 水神塔
  5. 記念碑
  6. 歌碑

石鳥居

石鳥居

石鳥居の形式は、明神(みょうじん)鳥居。江戸後期・嘉永5年(1852)6月建立。柱の部分はアルミ材で補強されている。

柱の銘|右下

柱の銘

柱の右下に「松伏村」「関場組中」「船持中」と刻まれている。

柱の銘|左下

柱の銘

柱の左下には「嘉永五壬子歳」「六月吉日」「石川好豹」とある。石川好豹は13代・石川民部。将軍が通行する船橋の架橋工事の中心的役割を担った。

幟枠石

鳥居の両脇にあるのは幟枠石(のぼりわくいし)。明治35年(1902)7月奉納。

銘|左

幟枠石の銘

左側の幟枠石(正面)の銘は「奉 石川家氏神水神社」

銘|右

幟枠石の銘

右側の幟枠石は、正面に「奉 開場組信徒中」、右側面に「明治三十五年七月吉祥」の銘が確認できる。

石灯籠

石灯籠

鳥居をくぐった右手(古利根川側)に石灯籠がある。江戸後期・弘化3年(1846)6月寄進。

竿|正面

竿の銘

竿正面の銘は「奉献 石川好豹」。この石灯籠は、13代・石川民部の石川好豹が寄進した。

竿|右側面

竿の銘

竿の右側面には「弘化三丙午歳六月」と刻まれている。

水神社

水神社

正面の小社は水神社。中に水神塔が安置されている。

水神塔

水神塔

水神塔の形式は笠付き角柱型。江戸中期・宝暦13年(1763)11月造塔。正面の主銘は「水神宮」。側面の脇銘は「宝暦十三癸未歳」「十一月吉日」(※3)

※3 水神塔側面の銘は目視で確認できなかったので、『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)421頁に従った。

台石には「松伏村」「開場組中」「船組講中」とある。

記念碑

記念碑

水神社の脇に自然石の碑がある。この石碑は、幟(のぼり)と幟枠(のぼりわく)を寄付した記念に建てられた記念碑(幟及枠寄付記念碑)。年代不詳。
 
最頂部に「幟及枠奇付連名」とあり、その下に、4段にわたって、62人の名前が刻まれている。
 
最下部、5段目には「頼母子講」(※4)6人、「世話人」5人の名前がある。

※4 頼母子講(たのもしこう)とは、金銭の融通を目的とする民間互助組織。一定の期日に構成員が掛け金を出し、くじや入札で決めた当選者に一定の金額を給付し、全構成員に行き渡ったとき解散する。江戸時代に流行した。無尽講(むじんこう)とも呼ばれる。

歌碑

歌碑

石灯籠の対面にある自然石の碑は歌碑。江戸後期・嘉永元年(1848)建立。上段と下段に歌が刻まれている。

上段

堰枠の水月庵に
半日の閑を愉むに
古利根の水いまだ
涸て土橋は草の
青ミ遠里の杉の
むらたちなとけにや
黄石公も待る
風情なり

下段

水おほろ
 橋はから絵の
   人通り
    曇華齋
      素丸

裏面

銘

裏面には、
 
嘉永元季花月、応石川
高豹雅翁需揮毫
江浅八十弐翁楽々庵大耳
 
と、銘が刻まれている。

備考

石造物に刻まれている銘については、風化や劣化により、読みとれない箇所もあったので、正確を期するために『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)と照らし合わせた。

場所

古利根堰と寿橋

水神宮の場所は、古利根川に架かる寿橋(西詰)のたもと。越谷野田線沿い( 地図
 
上の写真は、水神宮の対岸、古利根川右岸から寿橋を望んだ風景。前方右手に水神宮が小さく見える。寿橋の上流側は古利根堰。古利根川左岸、寿橋(西詰)の下にあるトンネルのような横穴は排水樋管。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
外山晴彦・『サライ』編集部編『神社の見方』小学館(2007年7月15日 初版第6刷発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)