覚性寺の石仏群
残りの石塔は四基。供養塔が三基、巡拝塔が一基。
観音像付き普門品供養塔
六地蔵の隣(右から四基目)は、観音像付き普門品供養塔(※2)。江戸後期・天明3年(1783)2月造塔。
※2 普門品(ふもんぼん)とは、法華経(全28品)の第25品にある経典のこと。観音経(かんのんぎょう)とも呼ばれる。普門品供養塔は、観音経(普門品)を一定回数、唱えたことを記念して建てたもの。
聖観音菩薩立像
上段は、舟型の石塔に浮き彫りされた聖観音菩薩立像。
普門品供養塔
下段は普門品供養塔。石塔型式は角柱型。
正面の主銘は「奉讀誦普門品拾万巻供養」。脇銘は「天明三癸卯年」「二月吉日」。正面の下部と左側面の下部に、小さな文字で寄進者32人の名前が刻まれている。
廻国塔と読誦塔
観音像付き普門品供養塔の隣、右から三基目と二基目の石塔は、丸彫りの地蔵菩薩立像を頂いている。向かって左が廻国塔(かいこくとう)、右が供養塔。
六十六部廻国塔
六十六部廻国塔。江戸中期・享保11年(1726)造塔。
六十六部廻国塔とは、大乗妙典(だいじょうみょうてん)とも呼ばれる法華経(ほけきしょう)を66部写経し、全国66か国の寺院を巡礼して、1部ずつ奉納した記念に建てられた供養塔のこと。
下段は文字塔。上段には蓮台(れんだい)に乗った丸彫りの地蔵菩薩立像が奉られている。左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っている。
首の部分に補修のあとがみられる。
廻国塔|下段
下段の石塔は廻国塔。
正面の最頂部に梵字「ア」。中央の主銘は「奉納大乗妙典六拾六部 日本廻国」。脇銘は「天下泰平享保十一丙午天」「国土安全」「十月吉祥日」
左側面の銘は「願以此功徳」「不及於一切」「我等与衆生」「皆共成仏道」。右側面には「下総国葛飾郡庄内領金杉村」「願主 圓照」とある。
光明真言供養塔
地蔵菩薩立像を戴いた光明真言供養塔(こうみょうしんごん・くようとう)。江戸中期・享保年間(1716-1736)造塔。地蔵尊の左頭部が破損している。首の部分に、左隣の地蔵尊同様、補修のあとがみられる。
光明真言とは、「密教で用いる真言のひとつ。これを唱えると、一切の罪障が除かれ、福徳が得られるという」(※3)
※3 (出典)JapanKnowledge(https://japanknowledge.com)「光明真言」デジタル大辞泉 (2024年10月28日閲覧).
台石の銘は、ほとんど読みとれないが、わずかに確認できる「庄内金杉」「享保」「奉造」「明真言」「地蔵尊」のほか、寄進者と思われる人々の名前から、「享保年間に金杉村の人たちによって奉納された光明真言供養塔」であることがわかる。
名号塔
向かって左端、19基目の石塔は、名号塔(みょうごうとう)。江戸前期・寛文6年(1666)3月造塔。石塔型式は板碑型。
名号塔とは、阿弥陀如来の名をたたえる名号「南無阿弥陀仏」の六文字を刻んだ石塔のこと。名号供養塔とも呼ばれる。
最頂部に阿弥陀如来を表わす梵字「キリーク」。中央の主銘は「南無阿弥陀仏」
脇銘は「寛文六丙午年」「三月吉祥日」結衆同行」「拾三人」とある。
おわりに
覚性寺入口横にある19基の石塔すべての調査はこれで終了。境内にも二基の読誦塔があるが、別記事で紹介する。
石塔の銘については、風化や劣化で読みとれない箇所や読みにくい文字も多々あった。正確を期すために、本記事を作成するにあたっては、『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)223頁-229頁と照らし合わせた。
場所
覚性寺(かくしょうじ)の場所は、中川に架かる松の木橋(東詰)の東北東100メートル。住所は埼玉県松伏町金杉1788( 地図 )。車は石塔群の前に駐められる。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)