覚性寺の石仏群

二基の供養塔

二基の供養塔

自然石の文字庚申塔の右隣に二基の石塔が並んでいる。向かって左は十九夜塔(じゅうくやとう)。その横は主尊不明の供養塔。

十九夜塔とは、

旧暦の十九日に月待(つきまち=十九夜に人々が集まって月を拝む行事)を行なった記念に講中(こうじゅう=仲間の集まり)で造立した供養塔のこと。如意輪観音を主尊としているものが多い。ほとんどが女性によって信仰された。

十九夜塔|嘉永5年

十九夜塔|嘉永5年

向かって左側は、江戸後期・嘉永5年(1852)10月造塔の十九夜塔。石塔型式は山状角柱型。正面の上部に如意輪観音半跏像が浮き彫りされている。下部の銘は「十九夜塔」

左側面

銘

左側面の脇銘は「嘉永五子十月吉日」

右側面

銘

右側面には「金杉村」「上組」「中組」とある。

台石

台石

台石の正面には「女人講中」「二十七人」と刻まれている。
 
この十九夜塔は、金杉村の上組と中組の女人講中270人によって造立された。

供養塔|主尊・年代不明

供養塔|主尊・年代不明

隣の小さいほうの石塔は劣化がひどく主尊も造立年代もわからない。石塔型式は舟型。
 
台石の正面に「女人」「二拾」と刻まれていることから、20人の女人講中によって造立された、なんらかの供養塔(月待塔)と思われる。
 
石塔の造形が隣の十九夜塔と似ていることから、石塔の上部に主尊(如意輪観音半跏像)、下部に主銘(十九夜塔)が刻まれていたのかもしれない。
 
ここでは「主尊不明の供養塔」としておく。

六地蔵

六地蔵

続いては六地蔵。三基ずつ二箇所にまとめられている。六基とも江戸中期・享保17年(1732)10月造立。石塔型式は舟型。石塔の最頂部に地蔵菩薩を表わす梵字「カ」。中央に地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。

六地蔵①~③

地蔵菩薩立像

向かって右側三基の脇銘。
 
①右端…「奉建立地蔵尊像六體為二世安楽也」「享保十七壬子十月吉日同行二十九人」「敬白」「金杉村」②中央…「下総国葛飾郡庄内領庄内領金杉村」「壬子十月吉日男女同行二十九人」「敬白」③左端…「壬子十月吉日」「金杉村同行二十九人」

六地蔵④~⑥

地蔵菩薩立像

向かって左側三基の脇銘。
 
④右端…「壬子十月吉日」「金杉村同行」⑤中央…「壬子十月吉日」「金杉村同行二十九人」⑥左端…「子十月吉日」「金杉村同行」

観音菩薩立像

首なし観音菩薩立像

三体ずつ並んでいる六地蔵の間にあるのは、浮き彫りされた観音菩薩立像。年代は不明。石塔型式は舟型と思われるが、上部の後背部分が欠けてしまっている。観音菩薩も首から上が破損して、「首なし観音」になっている。
 
脇銘で確認できる文字は「□□祐念菩提也」「敬白」「□金杉村」
 
何の目的で造立された石仏なのかは判断できない。

供養塔・巡拝塔

19基の石塔群のうち15基まで見てきた。残りは四基。供養塔と巡拝塔。