埼玉県松伏町金杉の松伏春日部関宿線沿い(茨急バス松伏営業所の向かい側)にある八大龍王文字塔と大神宮文字塔を調べた。
木祠と石塔
調査日は、2025年8月7日。道路(松伏春日部関宿線)沿いの民家の跡地に残されているブロック塀脇に、小さな木の祠と、その隣に自然石の石塔がある。
八大龍王文字塔
自然石の石塔は八大龍王文字塔。江戸後期・文化9年(1812)造立、明治24年(1981)再建。
正面中央の主銘は「八大龍□」。「八大龍」の下の文字は土に埋まっていて読みとれないが「王」と思われる。
脇銘
脇銘には「祐勝敬書㊞」と刻まれている。上の写真の黄色い○(丸)印内。
裏面
裏面には「文化九年建立」「明治廿四年再建」とある。「廿」は「二十」の異字体。
八大龍王(はちだいりゅうおう)は、もともとは仏教からもたらされた龍神(りゅうじん)だが、日本では、古来の水神信仰と習合して、水難除けの神として信仰されてきた。
この八大龍王文字塔は、松伏町の東端、江戸川右岸土手下にあるので、江戸川の氾濫で堤防が決壊しないように、水難除けを祈願して建立されたものと思われる。
八大龍王信仰
『松伏町史(文化財編)』によると「八大龍王の信仰は、松伏町、吉川市、三郷市などの旧二郷半領の村々に顕著にみられる。江戸川の対岸にあたる千葉県野田市付近でも多く祀られている」(※1)という。
※1 『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会、2024年、45頁
松伏町内では八大龍王塔は八基が確認されている。
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大神宮文字塔
木祠の中に安置されているのは大神宮文字塔。
石塔型式は笠付き祠型。江戸中期・延享3年(1746)造塔。中央の主銘は「太神宮」(だいじんぐう)
側面の脇銘は「延享三丙寅天九月吉日」「施主 亥兵衛 弥右衞門 弥次兵衛」(※2)
脇銘は、木祠の内壁がじゃまして目視で確認できなかったので『松伏町史(文化財編)』(※2)に従った。
※2 『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会、2024年、243頁
大神宮とは
大神宮(だいじんぐう)とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)または伊勢神宮のこと。
もともとは、この木祠(大神宮文字塔)は、江戸川沿いで商売をしていた個人宅の屋敷神として祀られていたもの。現在は、店舗と住居は更地になっていて、ブロック塀だけが残っている。
不明塔
木祠と八大龍王文字塔の間に小さな石塔がある。石塔の三分の二以上が土に埋まっているので、何の石塔かはわからない。最頂部に「庚」のような文字が見えるので「庚申塔」かもしれないが、不明塔としておく。
『松伏町史(文化財編)』(※3)では、この石塔は、主尊不明の供養塔で、江戸後期・文化9年(1812)造立。脇銘は「九壬申年」とある。
※3 『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会、2024年、243頁
場所
木祠と八大龍王文字塔の場所は、埼玉県松伏町金杉の東端、埼玉県道・千葉県道42号松伏春日部関宿線沿い(茨急バス松伏営業所の向かい側)。江戸川右岸土手下、野田橋交差点から約1キロメートルのところにある( 地図 )
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)