東京都調布市の古刹・深大寺(じんだいじ)。元三大師堂(がんざんだいしどう)の境内には、全国的にも珍しい角大師(つのだいし)が陽刻された石塔や准胝観音(じゅんていかんのん)などの石仏が人知れずひっそりと並べられている。本堂・境内のなんじゃもんじゃの木の下には、これまた珍しい切支丹灯籠(きりしたんどうろう)もある。深大寺の知られざる石仏を巡った。

深大寺・元三大師堂へ

深大寺の境内

2021年10月27日。今回、深大寺を訪れた目的は二つ。角大師(つのだいし)の石塔と、切支丹灯籠(きりしたんどうろう)を写真に撮ること。まずは角大師の石塔がある元三大師堂(がんざんだいしどう)へと向かった。元三大師堂は、本堂に向かって左手、西北にある。上の写真の右手が本堂、左手の木立の間から屋根をのぞかせているのが元三大師堂。

臨時の段差解消スロープ

段差解消スロープ

石畳の先にある石段をのぼると元三大師堂の境内に入る。七五三詣の時期だったので、着物・草履姿の子どもたちがラクに上り下りできるように、石段の上に臨時で木製の段差解消スロープが設置されていた。

深大寺元三大師参詣の道標

深大寺元三大師参詣の道標(1)

石段の脇に、道しるべか立てられている。この道しるべは、もともとは甲州街道の滝坂(現・仙川町)に立てられていたものを、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催に伴う甲州街道〔国道20号線〕の拡張工事にともなって、この場所に移された。道しるべの造立は、江戸中期・元禄16年(1703)。江戸後期・文政3年(1820)再建。

銘文

深大寺元三大師参詣の道標(2)

正面には「厄除 御自作 元三大師 常花講」、右側面には「是ヨリ大師尊参詣道 石原宿迄五丁近」と刻まれている。台石には、深大寺村のほか、登戸(川崎市多摩区)・三田(港区)・麻布(港区)・赤羽(北区)など、寄進者の住まいが刻まれていることから、深大寺の元三大師が、近郊だけでなく、広い地域にわたって信仰されていたことがうかがわれる。
 
この道しるべは「深大寺元三大師参詣の道標」(じんだいじ がんざんだいし さんけいのどうひょう)の名で、調布市の有形民俗文化財にも指定されている。なお道標に刻まれた銘文は読み取りにくい箇所もあったので、台石の銘文などは「案内板」に従った。

元三大師堂の本殿前

元三大師堂の本殿前

石段をのぼった正面が元三大師堂の本堂。まずは参拝。右手に臨時の寺務所がある。裏手に石仏が見える(上の写真の黄色い▼印)。

林光雄の歌碑

林光雄の歌碑

臨時寺務所の裏手にまわると、歌碑と四基の石仏が並んでいる。歌碑には、歌人・林光雄(※1)の「この寺に 遊ぶ志者しを 清や阿尓 阿ら志免むとや 梅さき澄免る」(この寺に 遊ぶしばしを すがやかに あらしめんとや 梅さきすめる)と刻まれている。

※1 林光雄(はやし みつお)…昭和・平成時代の歌人。小西六写真工業(現・コニカ)専務や東映化学工業の社長も歴任。実業家としても活躍した。明治36(1903)年1月9日~平成9(1997)年8月6日。94歳没。この歌碑は、林光雄が歌誌「あけび」の主宰(しゅさい)をつとめていたときに、あけび歌会によって建てられた。

四基の石仏

四基の石仏

歌碑の横に四基の石仏が並んでいる。手前(写真の右手)から◇六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)◇角大師(つのだいし)◇准胝観音(じゅんていかんのん)◇馬頭観音(ばとうかんのん)――。もともとは、この四基の石塔は、元三大師堂境内の木の下に、根元を囲むようにして置かれていたが、10年ほど前に、この場所に移された。
 
ちょうど霧雨が降ってきた。観光には、あいにくの天気だが、石仏の写真を撮るにはむしろうってつけ。雨に濡れることで、石塔に光沢が生まれ、立体感のある姿が浮かび上がる。

六地蔵石幢

六地蔵石幢

六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)。年代不詳。六角の石幢(柱状の石塔)の各面に六地蔵が浮き彫りされている。一体、顔が欠けているものがあった。苔むした笠や地蔵の姿が味わい深い。

角大師像塔

角大師の石塔(正面)

四基の石仏の中で、ひときわ目を引くのが、角大師(※2)が浮き彫りされた石塔。今回、いちばん見たかった石仏だ。なんといっても風変わりな姿態(したい)が特徴的。腕をまっすぐに下ろして手首を外側に90度向けた姿は、どことなくヒゲダンスを踊る志村けんにも見える。角大師が陽刻された石塔というのは全国的にも珍しく、貴重な石仏といえる。

※2 平安時代、厄病神がはびこったとき、比叡山の高僧・元三大師(がんざんだいし)が、厄病神よりも恐ろしい姿の角大師(つのだいし)に身を変じて、厄病神を退散させたと伝えられている。

造立は大正時代か

角大師の石塔(正面)

石塔の形式は光背型(舟型)。正面中央に角大師が大きく陽刻されている。向かって左脇に「元三大師」の銘がある。年代は不詳だが、台石に「大正」の文字がうっすらと確認できるので、大正時代に造立されたものと思われる。保存状態はかなりいい。

准胝観音像塔

准胝観音音(正面)

准胝観音(じゅんていかんのん)像塔。年代不詳。光背部分の最頂部が少し欠けてしまっているが、保存状態はきわめて良好。雨に濡れた准胝観音がくっくりと浮かび上がっている。彫刻もなかなか見事だ。石工の技が光る。

慈悲に満ちあふれた表情

准胝観音|慈悲に満ちあふれた表情

准胝観音座像を斜め下から見あげてみた。おだやかで「慈悲」に満ちあふれた表情だ。

功徳に満ちあふれた表情

准胝観音|功徳に満ちあふれた表情

左から顔を接写。こちらは「功徳」に満ちあふれた表情に見える。

馬頭観音文字塔

馬頭観音文字塔

馬頭観音(ばとうかんのん)文字塔。昭和15年(1940)3月17日建立。石塔の形式は角柱型(隅丸型)。正面中央に「馬頭観世音菩薩」と刻まれている。その下に、日本在来馬(にほんざいらいば)と思われる馬が浮き彫りされている。左側面には建立者名が見える。

角大師に別れを告げて

角大師の石塔

角大師の石塔に別れを告げて、今回、見たかった、もうひとつの石塔、切支丹灯籠(きりしたんどうろう)へと向かった。

切支丹灯篭

切支丹灯篭

切支丹灯篭は、本堂の境内、なんじゃもんじゃの木の下にある。この石灯籠が建てられたのは江戸時代(※3)。切支丹灯篭は、徳川幕府の弾圧を受けた隠れキリシタンが、ひそかに造って礼拝したと言われている。
 
特徴は竿(さお)の部分にある。庚申懇話会編(1980)『日本石仏事典』雄山閣(p253)によると、「①四角であること、②台石を伴わず埋め込み式であること、③竿の上部がふくらみ、わずかに十字形になっていること、④竿中央下部に舟型光背に彫りくぼめ、立像が陽刻されていること[……]」などが、切支丹灯篭の特徴としてあげられている。

※3 建立の年代を示す銘文は見あたらなかったので、日本石仏協会編(1986)『日本石仏図典』国書刊行会(p277)に従って、江戸時代建立とした。

この石塔は歴史的にも価値が高い

切支丹灯篭

この石灯籠も切支丹灯籠の特徴を満たしている。
 
台石がなく、地面に直接、埋め込まれている(埋め込み式になっている)。四角い塔身(竿)に舟型の彫りこみがあって、地蔵が陽刻されている。地蔵の手をよく見ると、仏教式の合掌ではなく、両手の指を交互にして握りしめるキリスト教式の合掌をしている。竿の上部が楕円形にふくらんで、竿全体が、わずかに十字架の形になっている。弾圧を受けながらも信仰を貫いた人々の思いが伝わってくるようだ。
 
なお、竿の最上部が平らになっているので、この上に笠が載せてあったとも考えられる。東京都目黒区の大鳥神社(目黒のお酉様)にある切支丹灯篭は、竿の上部に笠が載っている。
 
この石塔は歴史的にも価値が高く、全国的にも数少ない切支丹灯籠のひとつといえる。

角大師のお札(降魔札)を買った

降魔札(角大師のお札)

本堂でお参りをしたあと、角大師の石塔を見学した記念に、社務所で角大師のお札を買った。お札といっしょにいただいた説明書きによると、角大師のお札は「降魔札」(ごうまふだ)と呼ばれ、江戸時代以降、魔除けとして、日本中の家の戸口に貼られるようになった、という。

最後に境内をちょこっと散策

今回は、角大師が陽刻された石塔と、切支丹灯籠の見学が目的だったが、せっかく深大寺に来たんだからと、境内をちょこっと散策してみた。

歌碑と句碑

清水比庵の歌碑

境内には、歌碑と句碑が15基ほど点在してる。高浜虚子・中村草田男(なかむら くさたお)・石田波郷(いしだ はきょう)・松尾芭蕉…他。上の写真は、清水比庵(※4)の歌碑。比庵(ひあん)が主宰となった「窓日短歌会」の創立45周年を記念して昭和49年(1974年)10月に建立された。
 
「門前の 蕎麦はうましと 誰もいふ この環境の みほとけありがたや」という歌が刻まれている。文字が特徴的。これは書家でもあった比庵本人が、石に直接墨で歌を書き、それを文字の上から正確に刻んだもの。

※4 清水比庵(しみず ひあん)…昭和の歌人・書家・画家。明治16(1883)年2月8日~昭和50(1975)年10月24日。92歳没。昭和41(1966)年には宮中新年歌会始の召人(めしうど)をつとめた。歌誌「窓日」を創刊、主宰となる。

姫観音

姫観音

こちら(上の写真)は、姫観音(ひめかんのん)。初めてお目にかかる観音様だ。

妖艶な流し目

姫観音の顔

妖艶な流し目に思わず足が止まった。

山門

山門

姫観音の妖艶な流し目に後ろ髪を引かれる思いで山門を降り、深大寺に別れを告げた。下から見あげる茅葺きの山門が美しい。この山門は江戸中期・元禄8年(1695)の建立。深大寺は、江戸末期・慶応元年(1865)の大火で建物の大半を焼失したが、この山門は、災禍を免れた。現在、深大寺でいちばん古い建物になっている。また、「深大寺山門」(じんだいじさんもん)の名で、調布市の有形文化財(建造物)にも指定されている。

門前の風景

深大寺の門前

天気はあいにくの小雨だが、門前には思った以上に参拝客がいた。

深大寺そばをいただく

深大寺そば(とろろそば)

鬼太郎茶屋の対面にある「鈴や」で深大寺そば(とろろそば)をいただいた。

深大寺参拝情報

深大寺

深大寺

住所は東京都調布市深大寺元町5-15-1( 地図 )。郵便番号は 182-0017 。電話番号は 042-486-5511(対応可能時間は午前9時から午後5時まで)。公共交通機関利用は、京王線の調布駅中央口またはつつじヶ丘駅北口からバス。JRだと、中央線の三鷹駅南口または吉祥寺駅南口からバス。車でのアクセスは、中央自動車道・調布インターチェンジから約8分。駐車場は近隣の有料駐車場を利用。
(深大寺公式サイト)https://www.jindaiji.or.jp/