埼玉県松伏町金杉の覚性寺(かくしょうじ)入口横にある庚申塔や十九夜塔などの供養塔が並ぶ石仏群を調べた。場所は中川に架かる松の木橋(東詰)の東北東100メートルのところにある。
覚性寺の石仏群
調査したのは 2024年10月26日。石仏群には19基の石塔が並んでいる。
- 墓塔…2基
- 庚申塔…4基
- 六地蔵…6基
- 供養塔…6基
- 観音菩薩立像…1基
それでは向かって左から順番に見ていく。
墓塔
向かって左端の二基は墓塔。石塔型式は隅丸型。風化が進んでいて、造立年代や銘文・戒名などは読みとれない。おそらく江戸時代に建てられたものと思われる。
庚申塔
墓塔の隣には、庚申塔が四基並んでいる。
青面金剛像庚申塔
左端は青面金剛像庚申塔。石塔型式は駒型。江戸中期・安永2年(1773)2月造立。
正面最頂部に瑞雲に乗った日月。中央に青面金剛立像。青面金剛は一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)の剣人型。持物は、左上手に法輪、左中手にショケラ、左下手に弓。右上手に矛、右中手に宝剣、右下手に矢。
青面金剛に踏みつけられているのは邪鬼、石塔の最下部に三猿が陽刻されている。三猿は向かって左から「言わ猿」「聞か猿」「見猿」
左側面
左側面の銘は「庚申供養塔」。その下に「願主」をはじめ10人の名前が刻まれている。
右側面
右側面には「安永二癸巳二月龍集」(※1)「下総国葛飾郡庄内領金杉村」の銘のほか、寄進者10人の名前が見える。
※1 竜集(りゅうしゅう/りょうしゅう)とは、年号の下に記す語。
円柱型の庚申塔
青面金剛像庚申塔の右隣に、円柱型の庚申塔が二基並んでいる。
文字庚申塔|文政10年
向かって左側は、江戸後期・文政10年(1827)2月造塔の文字庚申塔。石塔型式は円柱型。正面の主銘は「庚申塔」。石塔の最頂部には瑞雲に乗った日月が陽刻されている。
左側面
左側面の銘は「文政十丁亥年二月吉祥日」
右側面
右側面には「下総国葛飾郡庄内領下川邊庄金杉村」とある。
台石
石塔下の台石は風化と劣化が進んでいて、何が彫られているのかはわからない。右隣の円柱型の庚申塔の台石には三猿が浮き彫りされているので、この台石にも三猿が陽刻されていたのかもしれない。
下の台石の正面には「講中」「金杉村本田 中組 上組 下組」「四十三人」、左側面には「願主」ほか二名の名前が確認できる。
文字庚申塔|文化10年
向かって右は、江戸後期・文化10年(1813)造塔の文字庚申塔。石塔型式は円柱型。正面の銘は風化と劣化がはげしく読みとれない。おそらく「庚申塔」と刻まれていたと思われる。
石塔下の台石正面には三猿。三猿も風化で姿は正確にはわからない。
下の台石の正面には「講中」と刻まれている。右側面と左側面には「願主」二名をはじめ寄進者35人の名前が刻まれている。
左側面
左側面の銘は「文化十癸酉年」。あとの銘は判読不能。
右側面
右側面は、劣化がはげしく「十一月」の文字が、かろうじて読めるが、あとは判読不能。
盃状穴
石塔下の台石に「盃状穴」(はいじょうけつ)がある。
盃状穴については諸説あるが、なんらかの目的で人為的に彫られたと考えられている盃状(さかずきじょう)の穴(凹み穴)で、石造物に多くみられる。呪術や土俗信仰と深くかかわっているともいわれているが、詳しいことはわかっていない。
盃状穴については越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏が「石造物にみられる謎の『盃状穴』」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/67.pdf
文字庚申塔|嘉永4年
円柱型庚申塔の右隣は、自然石の文字庚申塔。江戸後期・嘉永4年(1851)10月造塔。最頂部に瑞雲に乗った日月が線刻されている。主銘は「庚申塔」。脇に「幡鎌錫書」と刻まれている。
背面
背面の上部に「□永四年」「□亥十月」の銘。「□」の部分は欠けてしまっている。「嘉永四年」の干支は「辛亥」(かのとい)なので、この銘は「嘉永四年」「辛亥十月」と思われる。
下部には「下総国葛飾郡」「庄内領」「金杉村本田」とある。
台石
台石の中央に陽刻された「三猿」(向かって左から言わ猿・聞か猿・見猿)。脇銘は「講中」「四十人」。「世話人」の文字と、三人の名前が確認できる。